車椅子が欲しい‥‥と

神戸の貴重な時間に、復興住宅を訪ねる。
仮設住宅からの引越ボランティアや、台湾地震の被災地で家を建てる技を振るったUさん宅を
訪ねたが、あのシャキシャキした動きは無く、ヨロヨロと部屋の中をつたい歩きをする状態。

「車椅子がどこかに無いかな?」自分で歩くのがしんどくて・・・・

思いがけない言葉に、移動サービスの関係者に情報・物品提供のお願い電話をつなぐ。

その後、支援の原点だった長田区を廻ったが、思いがけない方々が亡くなっていた。最後の言葉も交わせないまま、去っていった自分を思い出す。

15年という歳月は、確実に多くの方々の寿命を迎えることになっているが、寿命の長さや短さが地震と復興の影響でどう変わったのか、誰にもわからないのだろうか・・・

2兆7千億以上の市債を抱える神戸市、地震後の検証は、いかがだろうか?無関心の風が吹く中、兵庫県知事選挙の最中だった。

 

 

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