ネパール地震2年の訪問より

●ラップラック村現地レポート③学校

ネパール地震発生直後のモンスーン時期は標高3200m地区でのテント学校だったが、フランスNGOレザミからの支援で標高2750mにトタン波板で公立小学校(生徒数約430人、授業料無料)が建設された。そして、その上部を重機で切り拓きコンクリートと石積みを活用して頑丈な小学校建設がレザミにより始まっている。

約90名の村人が1日750ルピーの給与(月払)で雇用されあと3ヶ月以内に完成させる目標とのことだ…またレザミは近隣村の他三カ所でも学校建設を進めている。さすがです…

また、標高2800mの別地区には、私立学校が再建されて約148人の子供たちが通っているが、こちらの学費は3歳~段階的に月450ルピーから5年生まで月900ルピーの授業料がかかる。ちなみに先生6人、若手先生の給与12000ルピー月(一万円は約9000ルピー)

高校はラップラック村には無いので、バルパック村(村人なら徒歩約5時間)の高校と学生寮に入るかカトマンズに出てしまうというが学費は高い…

ラップラックの子供たちは、震災後に神戸滝川中高校の学生達や先生が街頭募金で集めてカトマンズで特注した通学用リュック(600個)を大切に使ってくれていたが、新しい学校へは毎朝1時間の登山登校が必要だ… 宇治先生、ゴルカ地区までトラックで届けてくれてありがとう… 次回は共にラップラックへ

●ラップラック村現地レポート④ライフライン

カトマンズで様々な仕事を営む方々やトレッキングガイドとして出稼ぎしている方々が中心となり「ラップラック ソサエティー」という団体が震災後のラップラック村復興の窓口として活動している。 今回の訪問にも、ガイドさんを紹介していただいた…

ラップラックソサエティーは、マナスルへの登山ルート(約7日)がラップラックにある関係で昔からイギリスやスイス登山家、フランスNGOとつながりがあり、今回私たちが震災後作った連携任意団体「カントマカンド」とも連携し寄付を募り、貯水槽や水力発電所も完成させた。

電気は約600世帯に夕方4時現在翌朝8時まで供給し(メーター無し)、携帯電話はNepal Tel Comが常に届く!Ncell社の電波はバルパック村との峠まで可。

水道はラップラック村上部約2500mに貯水槽が完成し、集落数カ所に水場が常に美味しい水を流し続けている。滞在中、その水を飲み続けたが、快調(快腸)で新鮮野菜や豆とニワトリなどのダルバートはかなり旨い!

ちなみに、石川梵さんの映画に出てくるアシュバルト君がニワトリを見事にさばいてくれた!
(つづく)

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ゴルカ県ラップラック村の現状

ラップラック村の現地レポート①
ネパール地震直後から現地状況を調査していた天人ジュンさんから先にネパール入りしていた私にラップラック村の緊急事態情報が入った…

「ラップラック村の上部から地震の揺れで土砂崩れが発生する可能性があり、住民が標高3000m以上に避難している…」という。 約20年前のモンスーン時期にも中規模土砂崩れが発生したことがあったからだ…。

当初、道のりは各地で寸断されており、被災地には車で1~2日、そして歩いて3日間はかかるだろうという。

その後、ネパール在住の吉田さんのコーディネートで10トントラックでの食料やテントなどを数百人と標高3200mの避難所に担ぎ上げた。 皆さん、凍える寒さの中、テント作りに必死だったが笑顔で迎えてくれた…

現在、2回のモンスーンがあったが、土砂崩れは発生せずに、約450世帯の方々は標高2300~2500mのラップラック村に戻り住宅再建に励んでいる。元の村に戻らない方々も含めて現在4ヶ所集落に分かれて約550~600世帯約4000人の方々が暮らしている。(人によって、人数や世帯数の答えは違う) 避難所だった3200m場所は冬に積雪1~2mにもなり畑や放牧地からも遠く水確保も課題だった。国際機関やNGOから石積みの注意点看板があったが、予算と資材不足だ…

その後、写真家石川梵さんも私より先にラップラック村入りしていたことがわかり、協力して支援活動に入った…

●ラップラック村現地レポート②
震災後避難していた標高3200m周辺グプシ地区にN.R.N.A(Non Resident Nepal Association)からの750,000,000ルピーの予算を活用して575世帯のラップラック村の方々の新しい村建設がNRNAとネパール軍のサポートで進められている。

被災後に建てられた簡易住宅やテント村は跡形も無くなっていた…(私のテントも…)

工期は後8ヶ月半で完成させるというが、バルワ村やバルパック村からの山道復旧作業が追いつかず、モンスーン時期になると4WDトラックやトラクター荷車も来られなくなりそうだ…

何人かの村人に話を聞いたが、やはり極寒の冬場対策や標高差1000mの農作業場所や放牧地から離れる為、高齢の方々などは移転を希望しない方々もいる。

東日本大震災の高台移転の現状を思い出した…(つづく)

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ネパール地震2年目の日…

●ネパール地震2年の被災地現状調査活動を4月23日~5月11日まで行いました… レポートを数回に分けてお伝えします。
…………………………
2015年4月25日11:56 カトマンズ北西約77キロゴルカ地区で発生したM7.8の地震では、ネパール以外でインド、中国(チベット自治区)、ブータン、バングラデシュにも被害が発生し、犠牲者は8964人(外国籍17カ国88人含む)になる。
また、私の滞在中5月12日にM7.2の巨大余震が発生し、エベレスト街道、シンドルパルチョーク方面で被害が拡大した!(恐らく、犠牲者数に入っていない方々いると推測、雪崩や土砂崩れで埋まった集落やキャンプあり)

三回忌の日には政府関係者も集まったバクタブル寺院で追悼し、学生達も集まった崩落したタワーでも祈る…

支援仲間のジュンさんが「ネパールの皆さんは311東日本大震災で凍える方々に暖かい毛布などの支援物資提供の他に、無事でありますように祈り続けてくれていたのです…」という言葉が忘れられない。

祈る心は、国境を越えます…
震災の日だけで無く、毎日祈り続けているのです…  優しい人々に大地に逢いに来てほしい。

そして数日間、震源に近い標高3200mを越えるゴルカ地区の被災地廻りする為、発信は止まります…
震災後は現地に到着するには、3日間は必要な場所で移動はバイクも屋根に積める長距離バスです…

昨夕は、カトマンズ在住の佐野さんや山岳被災地廻りして来た水出さん達と情報交換、ありがとうございました!また追悼コンサートで訪れていた佐野碧さんと再会できました!

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4月22日牡鹿半島食堂いぶきオープン!

Facebookへの投稿が増えている中、すみません…ブログ更新します! 

アースデイの日、いよいよ(社)オープンジャパン古民家再生IBUKIプロジェクトの「牡鹿半島食堂いぶき」オープンしました…(涙) 皆さん、ありがとう、ありがとう…
ぜひ、牡鹿半島鮎川港から金華山黄金山神社参拝、鮎川おしかのれん街、網地島&田代島海水浴、民宿ステイして、大原浜の「牡鹿半島いぶき食堂」へ!

http://oshika-ibuki.com
牡鹿半島食堂いぶきHP

皆さんのお越しをお待ちしています~!

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宮城県石巻市~熊本県益城町入り

今月22日オープン予定の古民家再生IBUKIプロジェクト作業後に、分水嶺を越えて保養キャンプで協力いただいている赤倉温泉立ち寄り南へ…

熊本地震追悼で益城町に到着し、住民や仲間達が作成した竹灯籠を灯す。

昨年の作業後、久しぶりに再会した住民の方々と更地を見つめるが、2度の大きな揺れがあった土地に再建できるか複雑という…

震おさまれど、災おさまらず…

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まもなく6年…

311東日本大震災発生から、まもなく6年…
石巻市牡鹿半島大原浜でコツコツと修復作業を進めてきた(社)オープンジャパン古民家再生IBUKIプロジェクトが来月牡鹿半島いぶき食堂として完成する予定!

先日は、支援団体のひとつである第33回目のSMBCボランティア一行が訪ねていただき、現状説明した。

津波の記憶が残る蔵前面の保存や修復作業にまだ資金不足の現状だが、食堂は来月22日(土)オープン予定です!

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初雪の岩手県岩泉町より

南富良野からも雪の便りが届く中、長野県信濃町での熊本地震報告会(災害支援信濃町連絡会)を終えて戻った岩泉町では、山間部で雪となった…

水道管の凍結前や現場が雪に閉ざされる前にやることが多く、優先順位を決めないといけない現実。

先日は、予定を変更して大東文化大のゼミ一行や今日は大阪明星高校生有志と先生達が汗を流しに来てくれた!

岩手県岩泉町の山奥で暮らす方々に様々な知恵を伺いながらの活動です…

しかし、今日は足先が痛くなる程、寒さが厳しくなった…(厚手の靴下必要ですね)

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