もう一人の自分に・・・

●和歌山県の潮岬から戻る際に、
通るルートは二つある。
新宮から山に入り、熊野川沿いに本宮経由で
奈良県十津川村を抜けて山岳地をのんびりゆくコース。
 
もうひとつは、国道42号線をひたすら
海岸線を走り、阪和道路経由で湾岸線へ入り、
大阪湾を左手に見ながら神戸へ戻るコース。
 
●「のんびりと下道でゆこう・・・」
と白浜への湯浅、御坊有料道路が延長されて
いたが、いつも利用していた御坊ICでは、利用する
気になれずに、国道42号を和歌山市内にむけて
北上していた。
 
「なぜ、下道でゆこうと決めたのだろうか・・・」と
もうひとりの自分にそうしようという考えを教えられ
雨の国道42号線で向かった直後、その答えがあった。
 
●まだ息があった・・・
雨の日高町の上り坂を曲がったところ、
事故直後に遭遇したのだ。
のは、大型バスだった。運転手が、119番通報している最中に
私は現場を通過し、すぐに安全な場所に停車し向かった。
 
大破した車内で閉じ込められている運転手を助けれるのは、
レスキュー車ぐらいな状態だった。いつも使っているエンジンカッターは
持って来ていなかったが、あっても火花が出るため、
漏れたガソリンに引火する可能性もあるので使えない。
 
渋滞を減らさないと、緊急車両の到着が遅れる!
と判断し、エアバックに助けられた運転手を確認し、
交通整理と誘導を行った時、レスキュー車が駆けつけた。
 
なんと、後部座席との隙間に子どもがいたのだ!
シートベルトをしていなかったようで、見えなかった。
 
救急隊が「がんばれー!」と人工呼吸をしながら、
すぐに到着した救急車に子どもから運び出し、病院に向かった。
これは、私の役目だったのだろう・・・救急車が来るまでの30秒間に
最初の救命行為が出来ただろうに・・・・
 
●警察車両がその後続々と到着し、交通整理も
代わってもらい、その現場を後にした。
 
その事故のことを和歌山の友人に伝え、神戸に戻った。
その夕方、その二人が帰らぬ人となったことを知らされた。
「あの時、まだ生きていた・・・・よ」
 
死因は、「外傷性ショックなど」とあったが、あの時では、
本当に助けてあげれなかったのだろうか・・・
心が痛い・・・
 
この1週間は、神戸のあの日とだぶってしまった時だった。
 
「がんばれー!、元気出せー!!」
 
●7日から再びジャワ島被災地へ向かう。
 
 
 
 
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